2006年10月25日 (水)

笠間稲荷(かさまいなり)

笹目宗兵衛商店のお話 3

      笹目宗兵衛商店は、笠間稲荷の真正面に位置しています。鳥居から通りをへだてた向こう側がお店のすぐ正面なわけです。
      「いや~。本当に正面なんですね」
      「そうなんですよ。いくらお神酒を造っている蔵とはいえ、こちら側を向いて真正面というのは珍しいそうです。」

      笹目さんにお稲荷さまをご案内いただいてきました。

      参道の端には商店がいくつか並んでいます。お参りの人が絶えない全国的な銘社ですから、昔からあるのでしょうねえ。
      いただいた資料で起源を調べてみますと・・・。

      笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様だそうです。
      日本三大稲荷のひとつであるこの社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉(はくち)2年(651年)とされています。
      1350余年の歴史を有する由緒ある神社なのだ。ひええええ。すごい。

      奈良時代の和銅6年(713年)に、元明天皇の詔によって編纂が命じられた「風土記」のうちの「常陸国風土記」には、「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と記されていますが、その頃には笠間のこの地で「古事記」や「日本書紀」に描かれています宇迦之御魂神への信仰が深く根ざしていたと考えられています。

      食物の神、農業の神さまとして崇敬されていました笠間稲荷大神さまは、商工業が盛んになるにつれて殖産興業の神さまとしての信仰も広まり、近世になると農家ばかりでなく商家、町屋、武士、大名にいたるまでご分霊され、屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りされるようになったそうです。

      お守りを購入すべく、社務所を訪れましたが、巫女さんが3人並んでいらっしゃいました。
      失礼ながら東京の女性と違う感じでみなさん気品があって、清楚な人ばっかり。

      「やっぱり昔から名門のご息女が巫女さんを務められるのでしょうね。採用の基準が厳しそうですが」と、恐る恐る話かけてみると・・・
      「ほほほ。昔は色々うるさかったかも知れませんが、今はそんなことはありませんよー。どうぞお気軽にご覧になってください」と気さくにお守りを手渡してくださり。
      でもまあ、そうは言っても都会のハンバーガー屋のバイトみたいなわけにはいかないんだろうなー、と想像しました。(笑)

      第十四代藩主の牧野貞道公は、先例にならって笠間稲荷神社を牧野家の祈願所と定めるとともに、境内地や祭器具などを寄進したそうです。
      以後、笠間藩は明治維新まで牧野家が領有することになり、神社の発展に尽くしたのです。
      その牧野家から銘酒「松緑」の蔵をいただいたのが、笹目家なのですね。

      広々とした敷地を歩き、社の様子、屋根や柱の彫刻などを眺めると、京都や奈良にも負けない豊かな地方文化の香りを感じます。
      敷地内には、正倉院を模した高床式平屋建の美しい「笠間稲荷美術館」があり、笠間焼きが影響を受けた信楽をはじめ、常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しています。
      常陸が生んだ水墨画家、雪村の作品、現代の花鳥画家、上村淳之の作品や香道具も収集・展示しています。

      なお、昔からこの地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまをお祀りしていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれているそうです。

      全国から年間通して約350万人の参拝客が訪れているそうです。

      笠間稲荷神社HP http://www.kasama.or.jp/

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2006年10月22日 (日)

清酒 二波山松緑との出会い

笹目宗兵衛商店のお話 1

みなさんは、茨城の蔵元、というとどのようなイメージをもちますか?
      私は正直あまり明確なイメージは持っていませんでした。でもなぜか、茨城の名前の由来は知っていましたですよ。「常陸国風土記」という本の中に、「黒坂命(くろさかのみこと)という人が茨(いばら)で城を作り、古くからこの地方に住んでいた賊(ぞく)を退治(たいじ)した、いうお話が書かれていて、この「茨で城を作った」というところから、この地方を茨城と呼ぶようになったそうです。

      じゃ、松緑って?(これはまつみどり、と読んでもしょうろく、と読んでもいいそうです)
      笠間藩を治める藩主、牧野家が醸造元だった日本酒の蔵が、明治6年に、「二波山  松の緑の色たけく  よろづかけて  なお榮ゆらん」の歌とともに城下でお醤油の
醸造元をしていた笹目家に経営を譲られたのが、由来だそうです。
      その時藩主に「二波山松緑」の銘柄を賜ったそうですが、こちらにも由来があり、二波山とは、茨城の名峰  筑波山と加波山を意味するとか。
      へええええ。

      日本酒は銘柄ひとつちょっと調べても、こんなに色々な歴史が隠されているのですねえ。素敵すてき。いいわあ、大喜び。

      でもここで、まりもままは納得しませんですよ~。さらなる突っ込みを。笠間藩て、どんな藩だったの?笹目宗兵衛商店の会長さんに聞いてみました。

      「牧野さまって、どんなお殿様だったんですか?」

      「さあ~。」(面識ないでしょうから、当然の反応です・笑)

      「日本酒の蔵をポンとくださったんですから、気前のいいお殿様だったんですかねえ?」

      「まあ。ほほほ。かなり昔のお話ですからねえ。でも穏やかな治世だったと文書などに謳われてますから、よいお方だったのではないでしょうか。それと、明治維新の廃藩置県もあって、激動の時代が来ましたでしょう?この蔵が残ることが出来るように、以前から醤油の醸造業を営んでいた笹目家に下されたのではないかと言われています。」

      「笹目家への信頼関係があってのことだったのですね。失礼、しつれい。単に気前がいい話というだけじゃなかったんだー。(笑)」

      もともと茨城は自然に恵まれた豊かな土地で、大昔から人が多く住んでいたそうです。多賀(たが)・久慈(くじ)・那珂(なか)・茨城(いばらき)・新治(にいはり)・筑波(つくば)という6つの国があり、645年にそれらが常陸国(ひたちのくに)になったと、「常陸国風土記」に書かれています。その後、江戸時代になって、水戸藩(みとはん)や笠間藩(かさまはん)が置かれ、明治時代になって県が置かれることになり、現在に至っているのだそうです。

      激動の歴史の中で、お殿様は蔵の運命を笹目家に託し、笹目家はそれを代々守ってきたのですね。

      笹目宗兵衛商店は、茨城県笠間市笠間1339、常磐自動車道を友部ICで降りて15分ほど。(行き方の詳細は笹目宗兵衛商店のHPをご覧ください。 http://www.matsumidori.com/

      ここで造られる「清酒  二波山  松緑」は、笠間の地酒として、また日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社のお神酒として今も愛され続けています。

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