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2006年10月31日 (火)

蔵コンサート(天満敦子さんのこと)

笹目宗兵衛商店さんのお話 6


 まりもままと笹目宗兵衛商店さんとの出会いは、天満敦子さんのヴァイオリンによる、蔵コンサートでした。(「すきすき♪お酒日記  茨城笠間の蔵元行き!続編」参照)

天満敦子さんは・・・ご存知の方も多いと思うけれど、今日本で一番有名かつ、チケットの入手が最も困難な人気演奏家の一人です。簡単にご経歴をご紹介すると・・・

6才よりヴァイオリンをはじめ、小学生時代、NHK・TV「ヴァイオリンのおけいこ」に出演、講師の江藤俊哉氏に資質を認められて音楽家への道を目指し、芸大在学中に日本音楽コンクール第1位、ロン・ティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞、楽壇の注目を浴び・・・。

大学院修了後、内外でコンサート活動を展開。その間、海野義雄、故レオニード・コーガン、ヘルマン・クレッバース氏など内外の名人・巨匠にその才能を愛され、永年にわたって親身の薫陶を受け、1992年初夏、「文化使節」として訪れたルーマニア公演は空前の成功を収めた。この訪問を機縁に彼女が日本初演を果たした薄倖の天才ポルムベスクの遺作《望郷のバラード》は、クラシック界では異例の大ヒット曲となり、彼女の名声を不動のものにしたと言われています。
朝日新聞朝刊に1998年7月から1年間評連載された小説「百年の預言」(著/芥川賞作家高樹のぶ子)に登場する情熱の女主人公相馬充子(そうまみつこ)は彼女がモデルです。使用のヴァイオリンはアントニオ・ストラディヴァリウス晩年の名作。

そんな天満さんと笹目さんの出会いを会長さんにお聞きしてみました。

「ヴァイオリンコンサートはもう8年目だそうですね。天満敦子さんとの出会いはどういうものだったのですか?」

「天満さんの叔母様が私の大学の先生だったのです。その方がよく笠間に来てくださっていまして。日動美術館でヴァイオリンコンサートがあり、天満さんが演奏してくださった時に『うちの蔵でも弾いてくださらないかしら』と叔母さまを通じてお願い申し上げたところ『酒蔵だったら、弾くわ!』とご快諾いただきまして」(笑)

「お酒がお好きな方なのですね。」

「そうなのです。しかもちょうど天満さんが来て演奏してくだった翌年にうちのお酒が全国の観評会で金賞を取りまして。それ以降、記念に天満さんのお名前のお酒を造り、販売させていただいているのですよ」

へえええええ。名ヴァイオリニストと日本酒蔵との出会いがそういうものだったとは。お酒の縁は人の縁。なかなかにいいお話ですねえ。

そういえば天満さん、蔵コンサートのとき「お酒もさぞかし喜んでいい味出してくれると思います。ふふふ」って、本当に嬉しそうに言ってらっしゃいました。情熱の女流ヴァイオリニストに愛され、その力強い音色を聴かされて熟成した笠間の美味しい日本酒。皆さんもぜひ一度味わってみませんか?

蔵コンサートの開催時期などの詳細は、笹目宗兵衛商店まで、お問い合わせください。


http://www.matsumidori.com/

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2006年10月30日 (月)

茶寮 蔵人 (くろうど)

笹目宗兵衛商店さんのお話 5

 笹目宗兵衛商店には、昔の民家がそのまま残されています。いや、残されているというよりも、つい先ごろまで笹目家の人が住まいとして使っていた、というのが正しいでしょう。母屋は今「茶寮 蔵人(くろうど)」として、喫茶業が営まれています。

銘酒の由来にもなった、庭の松の緑を背景に昔なつかしいこの店のたたずまいは、多くの人をひきつけてやまない様子です。「おかげさまで開業以来、地元のみならず、遠方からもたくさんのお客様がお越しくださいまして」と、お店を手伝う若おかみ。

まりもままは、お訪ねした日、まず、縁側から上がらせてもらいました。磨きこまれた床はとても懐かしい風情。それに戸も、敷居も、床の間も階段も調度品もすべてがアンティーク特有の穏やかな美しさを放ってよい雰囲気です。お座敷で座卓に座っていただくのですが、足が悪くて正座できない人のための低い椅子もあるので安心です。

板戸に描かれた花の絵も、食卓の器も繊細な柄が多く、昔の雅な暮らしの様子がうかがえます。驚いたのがトイレ。谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を思わせる見事なしつらいで、ずっとここに居たい、と思ったくらい素敵な空間でした。(笑)

お店でいただけるお食事の内容は、季節ごと変わります。休業日もありますから確認してから予約なさるといいかもしれません。(レシピは蔵人の「今週の料理」のところをご覧下さい)
http://www.matsumidori.com/

まりもままが伺ったのは、夏でしたが、食前酒に「松緑」の純米酒が供されていました。蔵元のレストランだから当然といえばそれまでですが、とーーーっても日本酒に合う料理。
味わうたびに違う季節感あるメニュー。ひと皿ごとに感じられる繊細な工夫と味付け。本当に美味しくいただいてきましたよー。

みなさんも、ぜひ一度いらしてみてくださいね。

      蔵人の膳(夏の一例)
      食前酒 松緑「純」
      煮物(揚物) 川海老のかき揚げ
        冷やし豚しゃぶ
      生湯葉 湯葉ときのこの煮びたし
      小鉢 木の葉南瓜の梅肉あんかけ
      飯物 冷しきしめん、味噌ごまだれ
      汁物
      香の物
      デザート

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2006年10月29日 (日)

笠間の旧家、笹目宗兵衛商店

笹目宗兵衛商店のお話 4

 笠間市は、茨城県中央部に位置した旧城下町で、関東の小京都と呼ばれています。落ち着いた町並みはのどかで美しく、たびたびドラマの舞台にも利用されているそうです。蔵のたたずまいも、笠間稲荷の神社の姿も清楚な静けさで、びっくり。まりもままは初めて訪れたとき、軽いカルチャーショックを受けました。(茨城県というと、水戸気質の勇壮なイメージの方をもつ人が多いのではないでしょうか)

交通はJR水戸線と国道50号線が東西に通っています。JRの利用客は少なめですが、特急の発着時間に合わせて周遊バスが無料運行されており、それを使うと便利です。
http://www1.ocn.ne.jp/~kasama/freebus.htm

笹目宗兵衛商店会長、笹目和子さんにお家のことを色々とお聞きしてみました。
「こちらにお住まいになって、何年くらいになられますか?」
「嫁いでからですから・・・もう39年ほどになりますか」
「笹目家は、何代目で何年くらいたつお家なのですか?」
「息子の信次郎で○○代目です、○○年くらいと聞いています」
「和子さんご自身はどちらのご出身ですか?」
「栃木県の宇都宮です。父が砂糖問屋をやっておりまして、5人兄弟の真ん中でしたから、大学を卒業して2~3年でお見合いして、笠間にまいりました」

でも、お見合いが行われた宇都宮のうなぎやで、見合い相手のご主人とそのお母さまは一口もうなぎを食べなかったそうです。というのも、お二人とも守り本尊が「うなぎ」。そのため、昔から絶対に口にしない、と。それはあとで知ったそうです。
「他にも色々なしきたりがあるのでしょうね。旧家で、蔵元ということで、さぞかし大変だったのでは?」
「うちも商家でしたが、わりと自由な土地柄でしたので、笠間では箸の上げ下ろしから厳しく教えられて、沢山のしきたりがあって、最初はびっくりしました」
「結婚式も盛大だったそうですね」
「昔はそういうことが多かったのだと思いますが、二日間にわたって式をあげました。1回に100人づつ、昼2回、夜2回の合計4回、笠間神社でとり行われたのです。」

お聞きして特に驚いたのは、お正月のお供え。飾らなくてはいけない場所が100ヶ所くらい、あるそうです。ご先祖さまの供養も半端ではなく、毎月3~4回は誰かしかの命日があるため、年中お墓に詣でる。(!)お盆には、朝昼晩と10何人分のご先祖さまにお食事をご用意し・・・
「お昼がおうどんだったら、夜はご飯とおかずとか、メニューも替えますの」
「えーっ。生きている人のお世話より大変では」
「ほほほ。そうかもしれません。今はそこまではしなくてもよいかもしれないと思っています。若い人には若い人のやり方で新しい時代を築いていってほしいですから」

さまざまなご苦労があったと思われるけれど・・・笹目さんのお顔には充実した時を生きてきた、晩年の女性の穏やかな微笑がありました。
地方に取材に行くと、都会とは違う、窮屈とも思える暮らしぶりに驚かされることがよくあります。でもそこに生きる人たちは、本当にしっかりとその土地に根をおろして頑張って生きていて、そんな姿に感動したりします。都会であわただしく流行りすたりを追いかける仕事をしている自分の身のほうがかえって不自由に思えたりして。(笑)
あたしも笠間に住めば、ああいう清楚でおっとりした雰囲気になれるのかもー。そんなわけ、ないか。(笑)

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2006年10月25日 (水)

笠間稲荷(かさまいなり)

笹目宗兵衛商店のお話 3

      笹目宗兵衛商店は、笠間稲荷の真正面に位置しています。鳥居から通りをへだてた向こう側がお店のすぐ正面なわけです。
      「いや~。本当に正面なんですね」
      「そうなんですよ。いくらお神酒を造っている蔵とはいえ、こちら側を向いて真正面というのは珍しいそうです。」

      笹目さんにお稲荷さまをご案内いただいてきました。

      参道の端には商店がいくつか並んでいます。お参りの人が絶えない全国的な銘社ですから、昔からあるのでしょうねえ。
      いただいた資料で起源を調べてみますと・・・。

      笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様だそうです。
      日本三大稲荷のひとつであるこの社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉(はくち)2年(651年)とされています。
      1350余年の歴史を有する由緒ある神社なのだ。ひええええ。すごい。

      奈良時代の和銅6年(713年)に、元明天皇の詔によって編纂が命じられた「風土記」のうちの「常陸国風土記」には、「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と記されていますが、その頃には笠間のこの地で「古事記」や「日本書紀」に描かれています宇迦之御魂神への信仰が深く根ざしていたと考えられています。

      食物の神、農業の神さまとして崇敬されていました笠間稲荷大神さまは、商工業が盛んになるにつれて殖産興業の神さまとしての信仰も広まり、近世になると農家ばかりでなく商家、町屋、武士、大名にいたるまでご分霊され、屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りされるようになったそうです。

      お守りを購入すべく、社務所を訪れましたが、巫女さんが3人並んでいらっしゃいました。
      失礼ながら東京の女性と違う感じでみなさん気品があって、清楚な人ばっかり。

      「やっぱり昔から名門のご息女が巫女さんを務められるのでしょうね。採用の基準が厳しそうですが」と、恐る恐る話かけてみると・・・
      「ほほほ。昔は色々うるさかったかも知れませんが、今はそんなことはありませんよー。どうぞお気軽にご覧になってください」と気さくにお守りを手渡してくださり。
      でもまあ、そうは言っても都会のハンバーガー屋のバイトみたいなわけにはいかないんだろうなー、と想像しました。(笑)

      第十四代藩主の牧野貞道公は、先例にならって笠間稲荷神社を牧野家の祈願所と定めるとともに、境内地や祭器具などを寄進したそうです。
      以後、笠間藩は明治維新まで牧野家が領有することになり、神社の発展に尽くしたのです。
      その牧野家から銘酒「松緑」の蔵をいただいたのが、笹目家なのですね。

      広々とした敷地を歩き、社の様子、屋根や柱の彫刻などを眺めると、京都や奈良にも負けない豊かな地方文化の香りを感じます。
      敷地内には、正倉院を模した高床式平屋建の美しい「笠間稲荷美術館」があり、笠間焼きが影響を受けた信楽をはじめ、常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しています。
      常陸が生んだ水墨画家、雪村の作品、現代の花鳥画家、上村淳之の作品や香道具も収集・展示しています。

      なお、昔からこの地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまをお祀りしていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれているそうです。

      全国から年間通して約350万人の参拝客が訪れているそうです。

      笠間稲荷神社HP http://www.kasama.or.jp/

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2006年10月24日 (火)

日本酒造り・笹目宗兵衛商店の一年

笹目宗兵衛商店のお話 2

日本酒の蔵の仕事って、どんなものがあるのでしょうか?
興味しんしんのまりもままは、笹目宗兵衛商店の会長さんに色々お聞きしてみました。

そしたらね・・

「洗いつけ」、「仕込み始め」、「ご祈祷」と続き、「暮れのお供えとしめ飾り」があって、「節分祭」、「甑倒し」「新酒お披露目」となるのだそうです。

まず「洗いつけ」
これは酒米をとぎ始めること。縁起のよい日を選び、始めるそうです。

「仕込み始め」
こちらは、日本酒の蔵がお酒を仕込み始めること。同じくよき日を選びます。悪い日)仏滅や赤口などは避けるそうです)

「ご祈祷」
酒造祈祷といって、仕込み始めの前後に神社に行って神主さんに祈祷してもらうもの。無事にお酒を造ることが出来ますように・・との願いを込めて祈ります。

「暮れのお供えとしめ飾り」
普通のご家庭とかなり違うな、と感じたのは、お供えの数。100ヶ所近く供えるのだそうです。お札も何十体とあって、古いお札は納めて新しいお札を飾ります。

「節分祭」
門口にヒイラギと鰯の頭と尻尾を飾り、福は内、鬼は外、と豆まきをするそうです。そのへんは全国の節分と同じ?「でも鰯の頭と尻尾まで飾るお宅は都会ではあまりありませんよね」「大豆の茎というのでしょうか?豆がらというのでしょうか?鰯を刺すのは、竹串じゃないのです。それを干したのを削って刺しています」毎年、農家の人がヒイラギの枝と一緒に持ってきてくれているのだそうです。

「甑倒し」(こしきたおし)
お米を蒸す、蒸し器のことを甑(こしき)というのだそうです。その甑を使わなくなることを「甑倒し」といいます。そうなるとあとはお酒が出来るのを待つばかり・・というわけです。

「新酒お披露目」
酒造では、新酒が出来たことを多くの人と共にお祝いします。笹目宗兵衛商店の場合は近年、天満敦子さんのヴァイオリンの音色とともに皆で新酒を味わう、蔵コンサートを開催しています。

以上の年間行事をお聞きして、「なんて季節感があるのかしら~」と思いましたですよ。だからそ、日本酒ってこんなにもスバラシイ!美味しい!季節の恵みそのものなのですね。

現在笹目宗兵衛商店で造られているお酒は4種類、どれも美味しかったですよ~。(詳しくは笹目宗兵衛商店HPをご覧ください。http://www.matsumidori.com/

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2006年10月22日 (日)

清酒 二波山松緑との出会い

笹目宗兵衛商店のお話 1

みなさんは、茨城の蔵元、というとどのようなイメージをもちますか?
      私は正直あまり明確なイメージは持っていませんでした。でもなぜか、茨城の名前の由来は知っていましたですよ。「常陸国風土記」という本の中に、「黒坂命(くろさかのみこと)という人が茨(いばら)で城を作り、古くからこの地方に住んでいた賊(ぞく)を退治(たいじ)した、いうお話が書かれていて、この「茨で城を作った」というところから、この地方を茨城と呼ぶようになったそうです。

      じゃ、松緑って?(これはまつみどり、と読んでもしょうろく、と読んでもいいそうです)
      笠間藩を治める藩主、牧野家が醸造元だった日本酒の蔵が、明治6年に、「二波山  松の緑の色たけく  よろづかけて  なお榮ゆらん」の歌とともに城下でお醤油の
醸造元をしていた笹目家に経営を譲られたのが、由来だそうです。
      その時藩主に「二波山松緑」の銘柄を賜ったそうですが、こちらにも由来があり、二波山とは、茨城の名峰  筑波山と加波山を意味するとか。
      へええええ。

      日本酒は銘柄ひとつちょっと調べても、こんなに色々な歴史が隠されているのですねえ。素敵すてき。いいわあ、大喜び。

      でもここで、まりもままは納得しませんですよ~。さらなる突っ込みを。笠間藩て、どんな藩だったの?笹目宗兵衛商店の会長さんに聞いてみました。

      「牧野さまって、どんなお殿様だったんですか?」

      「さあ~。」(面識ないでしょうから、当然の反応です・笑)

      「日本酒の蔵をポンとくださったんですから、気前のいいお殿様だったんですかねえ?」

      「まあ。ほほほ。かなり昔のお話ですからねえ。でも穏やかな治世だったと文書などに謳われてますから、よいお方だったのではないでしょうか。それと、明治維新の廃藩置県もあって、激動の時代が来ましたでしょう?この蔵が残ることが出来るように、以前から醤油の醸造業を営んでいた笹目家に下されたのではないかと言われています。」

      「笹目家への信頼関係があってのことだったのですね。失礼、しつれい。単に気前がいい話というだけじゃなかったんだー。(笑)」

      もともと茨城は自然に恵まれた豊かな土地で、大昔から人が多く住んでいたそうです。多賀(たが)・久慈(くじ)・那珂(なか)・茨城(いばらき)・新治(にいはり)・筑波(つくば)という6つの国があり、645年にそれらが常陸国(ひたちのくに)になったと、「常陸国風土記」に書かれています。その後、江戸時代になって、水戸藩(みとはん)や笠間藩(かさまはん)が置かれ、明治時代になって県が置かれることになり、現在に至っているのだそうです。

      激動の歴史の中で、お殿様は蔵の運命を笹目家に託し、笹目家はそれを代々守ってきたのですね。

      笹目宗兵衛商店は、茨城県笠間市笠間1339、常磐自動車道を友部ICで降りて15分ほど。(行き方の詳細は笹目宗兵衛商店のHPをご覧ください。 http://www.matsumidori.com/

      ここで造られる「清酒  二波山  松緑」は、笠間の地酒として、また日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社のお神酒として今も愛され続けています。

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