2007年1月 3日 (水)

鶴見のボンとの出会い

鶴見酒造さんのお話 1

    鶴見のボンとの出会いは・・・今を遡ること・ん年まえデシタ。
      日本酒の蔵元さんと遭遇は初めてだったので、

      最初から勝手にイメージを決めていた私。
      愛知県津島市にある蔵元の五代目。

      そしたら「えっ?」
      「ええーーっ?!」(あちらもビックリしたらしいです)

      だって若いんだもん!
      (お互い勝手に年寄りかと思ってたのです。
      まあ、まりもままはママですからー。現実おばさんですが)

      しかも、さわやか~な人だったんですよね。
      彼を見た人は私と同様の印象を持つらしく・・・

      「こりゃまた、すっきりした方で」とか
      「えらい涼しそうな方で」とか言います。(笑)

      ま、要するにハンサム?(ということにしておこう・笑)

      最近こそ、カップ酒が流行したり、お洒落な立ち飲みが

      流行ったりする昨今ですが、

   当時私が持っていた日本酒へのイメージ

      は泥くさいおやじ的なものだったのです。

      「ねーねー。どんな業界なのう?」
      私はタケキョン、彼はマイケルとあだ名で呼び合う

      「友だち状態」になってから尋ねてみました。

      「んー。古い業界だかんねー」という返事。
      「古いって、どう古いの?」
      「タケキョン、黒電話って見たことある?」
      「昔実家にあったけど」
      「あれがね、今だに取引先のお店にあったり

      するんだなぁ~」
      「えーーっ。じゃ・・・」
      「そう。インターネットどころかファックスすら

      なかったりすんだよネ」
      「ひえええええ」

      本当にそんな昔ながらの商売をしている

      酒屋さんもいまだ多いかったのだそうです。

      だから、マイケルが跡を継いだ当時は
      「ホームページを作りたい」とか
      「ネットショップしたい」と言っても
      幼い頃からの自分を知っている

      番頭さんたちに
      「ボンが何言うとるかね~」と

      相手にもされなかったんですと。

      ところが時代が変わり、スーパーへの納品も

      「棚わり君」なんてソフトを使って

   納品するようなってからは周囲の対応が劇的に変化。

      「『専務!よろしく頼んます!』

      てなもんで。えっへっへ」
      と、若ダンナ専務である彼。

      「そっか~、マイケルよかったじゃん~」
      「んだな~」

      ちなみにどうしてマイケルと

      呼ばれているのかというと・・・

      彼が「俺、ペンネーム作ったんだよ。
      『マイケル・アンタッチャブル・ツルミ』つーんだ」
      と最初から名乗っていたからです。(笑)

      ま、冗談が好きな人なんですね。
      でもよくよく知り合ってみると、

      日本酒業界は面白い人が多かった。
      彼もその一人ですが、以来いろいろなところに

      ご一緒してさまざまな日本酒(騒動?)を体験しています。

      だからこの連載は、日本酒界のお笑い芸人(違うか)

      マイケルの奮戦記でございます。

      「何にも専務(せんむ)、

      体は常務(じょうぶ)?なんちて」
      と、今日もダジャレをとばしつつ、

      頑張っているマイケルとの珍道中。
      次回以降もどうぞお楽しみに。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (7)

2006年12月29日 (金)

蔵宗兵衛(くらそうべい)のお話

笹目宗兵衛商店さんのお話 12

 笹目宗兵衛商店は、日本酒の蔵元さん。大きなタンクや、昔ながらの白壁の建物があり、ちょっとした展示コーナーでは年評や解説、昔の道具を見ることができます。

もちろんお酒やお土産品を買うことができる店舗もあります。まりもままのおすすめは「笠間の地酒」。ぐっとくる、日本酒らしい味わい。お値段も手ごろでいい感じ。店舗には小さなコップが置いてあり、吟醸酒も純米酒も試飲できます。うい~、ぐびぐびぐび。(なんてうそ。そんなに飲みませんよ~笑)

 例の天才ヴァイオリニスト、天満敦子さんのお酒を買うこともできます。松緑の酒粕で漬け込んだ漬物や茨城のお土産もあります。さらに食事や喫茶が楽しめる茶寮「蔵人」があり、大きな駐車場もあるので、観光客にとっても地元の人にとっても立ち寄りやすい蔵かもしれません。

でも、笹目宗兵衛商店には、もうひとつ大きな特徴があります。それは「蔵宗兵衛」の存在。松みどりの茂るお庭には、二百数十年前に建ったという美しい建物があって、そこには金銀財宝がザクザク・・・

じゃなかった、美しい和布や小物、装飾品があるんです~。大きな角材を使った敷居を通りぬけるとそこは別世界。と、いうと言いすぎかもしれませんが、本当に美しい品物がこまごまと沢山並んでいます。

昔の漆器、陶器、お盆や鉢や小皿や、紐や髪飾りやお人形、色とりどりのガラス玉。それに昔の着物生地を使った洋服も。観光地によくある縮緬を使っただけの粗雑な物ではありませんよ~。たおやかな感じ優雅なデザインのもの、現代性を感じさせるモダンな柄、ゆったりと体を包むラインや、シャープなラインのもの。さまざまなタイプの洋服がたくさんあります。

それに見合ったとも布のバックまであるの。パーティにはこれ、普段お買い物に行くにはこれ。あれこれ欲しくなっちゃいました。

これはスゴイ高レベルだなーと思って見ていると・・・時代布を使った小さな和布のポーチ発見。昔のものとは思えないような鮮やかな紫の地に、何かの文様が斜めに流れるように入った美しい絹製品です。それに似合う華奢な深緑の細紐がついています。おおおお。感激。さっそくフランス在住のお友達へのプレゼント用に買いました。

失礼ながら、なんで茨城県のここに、こんなお洒落な物が売っているの?(青山や赤坂で探してもなかなか気に入るものは見つからないのに!)と思い、お聞きしてみると・・・この店は、活躍中の人形作家、青木昌子さんのプロデュースで開業したのだそうです。

 蔵宗兵衛のHP内には彼女の作品集がありますが、独特の雰囲気があり、人形たちはため息が出るほど綺麗。どうりで。現役作家の美意識で作られたこだわりのお店だったのですね。

近くにあるガラス工房で作られているガラス玉を使った作品もたくさんあります。ペンダント、ネックレス、腕輪、リングにブローチ。ガラス特有の透明感を生かしたものだけではなく、金箔を使ったゴージャスな感じのもの、陶器のような質感のもの。さまざまな宝飾品が並んでいます。

 女性なら大喜びしそうな物がたくさん売られている、つまり見るのに時間がかかります。(笑)なので・・・ご夫婦で蔵を訪れる方は、ご主人が日本酒の試飲を楽しんでいる間に奥様が蔵宗兵衛でお買い物、なんてスケジュールを工夫した方がいいかも。

ちなみにまりもままは、試飲もショッピングもどちらも未練があって時間がかかりそうでしたから取材スケジュールの都合上、かなり我慢しました。次回はあたしだけ蔵に置いて帰って~!と思っています。(笑)

詳細は、この中にある「蔵宗兵衛」のページをご覧ください。http://www.matsumidori.com/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月21日 (木)

美の殿堂・笠間日動美術館

笹目宗兵衛商店さんのお話 11

 笠間日動美術館は、かなり作品の充実した美術館です。つまり小さい美術館のつもりで滞在時間が短い予定で訪れると残念な気持ちで帰ることになるので、ゆっくり時間をとって予定したほうがよいと思います。

昭和47年(1972)に日動画廊創業者によりゆかりの地、笠間に創設されたこの施設は、本館・東館・西館・野外彫刻庭園から成り、本館・西館は常設展示館として、当館所蔵の国内、外の名品、作家のパレットや自画像、アンティーク人形などが展示されています。

まりもままは、車で伺いましたが、かさま周遊バスを使えば美術館の前で下してくれます。館内の順路は、距離的には広くて足が疲れる人もいるかもしれませんが、表示が大変見やすく、ゆったりと散歩しながら眺めることができます。(休憩場所もいくつか点在しているので、休み休みのんびり回るのがおすすめです)

東館は企画展示館として、年間7~9回の展覧会を行っています。これまでに、「モネ展」「ルノワール展」「マチス展」「シャガール展」をはじめ多くの展覧会が開催されました。

常設は佐伯祐三、梅原竜三郎らの貴重な作品も展示され充実の内容です。すごく幅のある所蔵作品群だと思います。画家たちが使っていたパレットのコレクションも見どころですし、創立者である長谷川仁・林子夫妻の使っていた遺品も多く展示され、世界の芸術家たちと親交のあったご夫妻の暮らしぶりを知ることが出来ます。

ミュージアムショップも若手アーティストのデザインしたグッズなど、面白いものが沢山売られていて、見飽きません。

特にいいなあ、と私が思ったのは・・・野外彫刻庭園です。ここには日本を代表する作家の彫刻が20点、庭園の中に設置してあります。風にざわめく竹林の道を抜けて散策しつつ、それらの彫刻をのんびりと眺めて回っていると、平日の昼間だったせいでしょうか。笹の葉の落ちる音が聞こえてきそうに思うくらいの静寂を感じて、いい感じでした。作品の質は同等もしくはそれ以上でしょうけれど、格調高く、有名アーティストたちの名声が伝わってくるような敷居の高さを感じる銀座の日動画廊とはまた違った趣です。

この落ち着いた佇まいの美術館は、たくさんの旅行者をはじめ、多くの美術ファンに愛されており、年間数十万人の来館者があるそうです。

笠間日動美術館http://www.city.kasama.ibaraki.jp/Kankou/nitidou.htmlhttp://www.nichido-garo.co.jp/museum/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 4日 (月)

工芸の丘とレストラン「風の丘」

笹目宗兵衛商店さんのお話 10
工芸の丘と芸術の森陶芸体験が出来て、しかも美味しいレストランがある、というのでまりもままは「笠間工芸の丘」に行ってきました。
そのときは車でしたが、もしJR常磐線を利用するなら、周遊バスが便利です。「笠間市内観光周遊バス」は、レトロ調の赤くてかわいいデザイン。
友部→工芸の丘・陶芸美術館→笠間稲神社→笠間駅→春風萬里荘→やきもの通り→工芸の丘・陶芸美術館→友部駅間を無料で走ります。(JR友部駅の下り特急ダイヤに合わせて運行されています。)http://www1.ocn.ne.jp/~kasama/freebus.htm
「笠間工芸の丘」は、ひとことで言って、「素晴らしく眺めのよい場所」です。広々と見渡せる山と空。点在する陶器のオブジェたち。その空間の大きさに圧倒されて、丘の上にしばし佇むのですが、吹き渡る風の音や勢いにも驚かされてしまいます。これほど自然を体感できる場所は、自然豊かな地方の施設多しといえどもなかなか、ないのでは。
見渡す限りの芝の丘陵をひゅーひゅーと風が木々をなびかせ、大空を雲が流れてていく様はまるで西洋の絵本に出てくる世界みたい。何て言ったらいいのかな、「風」が主役、というのでしょうか。その丘にはさんで建っているのが、「陶芸美術館」。その1階にあるレストラン「風の丘」のご主人にお話をお聞きしてみると・・・
「ここは、風のとおり道なのです。この景色に見とれて長いこと一人でぼーっとしていらっしゃるお客さまもいらっしゃいますよ」
店内は大きなガラス窓いっぱいに先ほどの景色が広がり、本当にいい気持ち。コーヒーも美味しいけれど、丁寧に作られた和食(もちろん笠間焼きに盛り付けられています)が美味しい。ぜひまた行きたいです。
レストラン「風の丘」
この「笠間工芸の丘」は、笠間焼や稲田みかげ石を中心とした地場産業の振興と観光情報提供者等を目的として建設されました。笠間焼の制作体験ができる工房や制作研修館があります。また、陶芸品の常設展示や人間国宝展示室、映像を利用した笠間焼の歴史や観光情報の紹介、工芸品の販売コーナー(まりもままは、ここ大好き!もっとお買い物したかった~)、カフェラウンジもあります。
体験教室は「ろくろ」「手ひねり」「絵付け」の3コースから選べるそうです。手ひねりと絵付けは、1時間程度で出来ます。完成は1カ月後。焼きあがったら送ってもらえるそうですが、完成を待つ間、わくわくドキドキでするでしょうねえ。(参加するには予約が必要です。)
笠間工芸の丘/TEL0296-70-1313
http://www.kasama-crafthills.co.jp/top.html

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年11月18日 (土)

笠間焼きと陶芸美術館のお話

笹目宗兵衛商店のお話 9

笠間は、笠間稲荷の門前町としての落ち着きがあり、「関東の小京都」とも呼ばれますが、「笠間焼き」で知られる日本有数の石の町でもあります。

笠間焼きは、もともと、笠間藩の主要産業として発展しました。江戸時代・安永年間(1772~81)に近江国・信楽から招かれた陶工・長右衛門に、箱田の久野半右衛門が教えを請い、窯を開いたのが始まりと言われています。

笠間藩主・牧野貞喜の保護政策もあり、たくさんの窯元が建ち並び、大量の陶器が江戸などの大都市に出荷される一大産業となったそうです。笠間稲荷神社の参拝みやげなど、当時から全国で人気を博し、現在では欧米にも輸出され、全国各地から陶芸家が集まってきて、今たくさんの工房があります。

独特の風合いは笠間粘土の特質と言われています。鉄分を多く含んだ赤褐色の笠間粘土は、可塑性にすぐれているため、ろくろによる成形技術が発達したそうです。

製造工程は、      はい土作り→土練り→成形(ろくろ、手びねり、型起こし)→乾燥→素焼き→下絵付け→施釉→本焼→上絵付焼成→窯出し

 笠間焼の魅力は、伝統的な手作りを守りつつ新しい感性をもった陶工やデザイナーたちに活躍の場を開いているところ。本来家庭用の焼き物が主でしたが、最近は芸術性の高い作品も増え、オブジェ、装飾品、照明器具など焼物という概念を超えたジャンルにまでその伝統技法の応用が見られ、色々な趣があります。

でも質素で味わいがあり、日常使いにぴったりな感じのものが多いです。まりもままはどちらかというと、そうした普段使いの笠間焼きが好きです。特にお酒の入れ物として、酒の肴を盛る陶器として、すごくピッタリくるものが多いなー、と思っています。(笑)

その結果かどうか知りませんが、北関東自動車道・友部インターから国道355号で笠間駅へ向かう途中(やきもの通りと呼ばれていますには、)江戸時代には笠間藩御用達であった老舗の窯元や、「笠間焼」作家のやきものを販売する「笠間焼き窯元共販センター」などが軒を並べています。こんな器でこんな料理を食べてみたいな~、なんて思いながら食器を探す旅もまた、いいですよね。

「工芸の丘」にある「県立陶芸美術館」を訪れれば、笠間焼きの歴史の解説はもちろん、国内外の陶磁器の企画展や、茨城で活躍する陶芸家の作品から人間国宝・松井康成、文化勲章受賞者・板谷波山の展示コーナーなど、さまざまな陶芸を鑑賞できます。

隣接する笠間芸術の森公園内の「陶の社」を歩くとなお一層、焼き物が好きになるかもしれません。土の魔術師たちの手によって作られた、色々な作品があります。17のテーマを設けて創られたオブジェや散策道、ベンチなどもすべて陶で作られているのです。子どもも大人も両方楽しめます。ぜひメルヘンチックな気分で散策してみてください。

茨城県陶芸美術館/TEL0296-72-7105http://www.infonavi.co.jp/~tougei/

| | コメント (15) | トラックバック (3)

2006年11月 1日 (水)

芸術の村と春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)

笹目宗兵衛商店さんのお話 8

 笠間には、北大路魯山人の家として有名な春風萬里荘があります。「春風萬里」とは魯山人が好んで使っていた、李白の漢詩にある言葉。さっそくご案内いただきました。

陶芸、料理、絵画など多方面に才能を発揮し、「万能の異才」とうたわれた魯山人が住居としていた建築物(約300平方メートルの茅葺き民家)は、昭和40年に北鎌倉から移築されたもの。遺品や収集品の数々は、独特の美意識に基づいて集められたものばかり。私は正直魯山人はあまり好きなアーティストではなかったのですが、お気に入りだったという厩も、お風呂場の細部に至るデザインも、調度品も書画も、とにかく圧巻、見事です。

天才の偉業閲覧に疲れたら、館内に、喫茶が楽しめる「春風庵があります。」陶芸品や書籍資料の販売コーナーもあり、ショッピングもできます。(絵葉書やコーヒーカップが欲しかったなー)

春風萬里荘の前は広大な庭園で、四季折々の植物が生い茂り、とりわけ桜、梅、つつじ、菖蒲など沢山の花が来館者の目を楽しませてくれます。丘陵が小山のようになって変化があり、うっそうと茂った植え込みの先に池があり太鼓橋がかかっていたりもします。外国のお友達を連れてきても喜ばれるのではないかと思いました。それもそのはず、京都・龍安寺を模してつくられた枯山水による石庭だそうです。

また、離れのようになった、江戸時代の豪農屋敷の長屋門、北大路魯山人自らが設計した茶室「夢境庵」も見ることができます。見学させていただいたのは午後でしたから、茶室の窓から風が揺れるたびに竹林の間から、ちらちらと夕陽がもれて踊っているのが見えて、冷えてきた夕べの空気が漂い、それは情趣ある景色でした。

「ここでいただくお茶は美味しいのでしょうねえ」と、私が言うと
「銀座の料亭が出張して、ここで美食の会が開かれたこともあるのですよ」と笹目さん。いいなあ。こういう場所があるなんて。

 この春風萬里荘は、昭和39(1964)年、洋画家朝井閑右衛門氏と小説家田村泰次郎氏が、長谷川仁笠間日動美術館前理事長と笠間を訪れた折り、笠間にアトリエを作りたいという作家達の要望から、「芸術の村」の構想が出来、そこに魯山人の家を移築したものだそうです。現在の芸術の村には、洋画家、日本画家、彫刻家、陶芸家、染織家など40戸ほどのアトリエが点在し、それぞれのアーティストが制作に打ち込んでいるそうです。

春風萬里荘HP 
http://www.city.kasama.ibaraki.jp/jpeg/syunpu.html

魯山人になれる町、笠間
http://www.city.kasama.ibaraki.jp/~kankou/

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年10月31日 (火)

蔵コンサート(天満敦子さんのこと)

笹目宗兵衛商店さんのお話 6


 まりもままと笹目宗兵衛商店さんとの出会いは、天満敦子さんのヴァイオリンによる、蔵コンサートでした。(「すきすき♪お酒日記  茨城笠間の蔵元行き!続編」参照)

天満敦子さんは・・・ご存知の方も多いと思うけれど、今日本で一番有名かつ、チケットの入手が最も困難な人気演奏家の一人です。簡単にご経歴をご紹介すると・・・

6才よりヴァイオリンをはじめ、小学生時代、NHK・TV「ヴァイオリンのおけいこ」に出演、講師の江藤俊哉氏に資質を認められて音楽家への道を目指し、芸大在学中に日本音楽コンクール第1位、ロン・ティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞、楽壇の注目を浴び・・・。

大学院修了後、内外でコンサート活動を展開。その間、海野義雄、故レオニード・コーガン、ヘルマン・クレッバース氏など内外の名人・巨匠にその才能を愛され、永年にわたって親身の薫陶を受け、1992年初夏、「文化使節」として訪れたルーマニア公演は空前の成功を収めた。この訪問を機縁に彼女が日本初演を果たした薄倖の天才ポルムベスクの遺作《望郷のバラード》は、クラシック界では異例の大ヒット曲となり、彼女の名声を不動のものにしたと言われています。
朝日新聞朝刊に1998年7月から1年間評連載された小説「百年の預言」(著/芥川賞作家高樹のぶ子)に登場する情熱の女主人公相馬充子(そうまみつこ)は彼女がモデルです。使用のヴァイオリンはアントニオ・ストラディヴァリウス晩年の名作。

そんな天満さんと笹目さんの出会いを会長さんにお聞きしてみました。

「ヴァイオリンコンサートはもう8年目だそうですね。天満敦子さんとの出会いはどういうものだったのですか?」

「天満さんの叔母様が私の大学の先生だったのです。その方がよく笠間に来てくださっていまして。日動美術館でヴァイオリンコンサートがあり、天満さんが演奏してくださった時に『うちの蔵でも弾いてくださらないかしら』と叔母さまを通じてお願い申し上げたところ『酒蔵だったら、弾くわ!』とご快諾いただきまして」(笑)

「お酒がお好きな方なのですね。」

「そうなのです。しかもちょうど天満さんが来て演奏してくだった翌年にうちのお酒が全国の観評会で金賞を取りまして。それ以降、記念に天満さんのお名前のお酒を造り、販売させていただいているのですよ」

へえええええ。名ヴァイオリニストと日本酒蔵との出会いがそういうものだったとは。お酒の縁は人の縁。なかなかにいいお話ですねえ。

そういえば天満さん、蔵コンサートのとき「お酒もさぞかし喜んでいい味出してくれると思います。ふふふ」って、本当に嬉しそうに言ってらっしゃいました。情熱の女流ヴァイオリニストに愛され、その力強い音色を聴かされて熟成した笠間の美味しい日本酒。皆さんもぜひ一度味わってみませんか?

蔵コンサートの開催時期などの詳細は、笹目宗兵衛商店まで、お問い合わせください。


http://www.matsumidori.com/

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年10月30日 (月)

茶寮 蔵人 (くろうど)

笹目宗兵衛商店さんのお話 5

 笹目宗兵衛商店には、昔の民家がそのまま残されています。いや、残されているというよりも、つい先ごろまで笹目家の人が住まいとして使っていた、というのが正しいでしょう。母屋は今「茶寮 蔵人(くろうど)」として、喫茶業が営まれています。

銘酒の由来にもなった、庭の松の緑を背景に昔なつかしいこの店のたたずまいは、多くの人をひきつけてやまない様子です。「おかげさまで開業以来、地元のみならず、遠方からもたくさんのお客様がお越しくださいまして」と、お店を手伝う若おかみ。

まりもままは、お訪ねした日、まず、縁側から上がらせてもらいました。磨きこまれた床はとても懐かしい風情。それに戸も、敷居も、床の間も階段も調度品もすべてがアンティーク特有の穏やかな美しさを放ってよい雰囲気です。お座敷で座卓に座っていただくのですが、足が悪くて正座できない人のための低い椅子もあるので安心です。

板戸に描かれた花の絵も、食卓の器も繊細な柄が多く、昔の雅な暮らしの様子がうかがえます。驚いたのがトイレ。谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を思わせる見事なしつらいで、ずっとここに居たい、と思ったくらい素敵な空間でした。(笑)

お店でいただけるお食事の内容は、季節ごと変わります。休業日もありますから確認してから予約なさるといいかもしれません。(レシピは蔵人の「今週の料理」のところをご覧下さい)
http://www.matsumidori.com/

まりもままが伺ったのは、夏でしたが、食前酒に「松緑」の純米酒が供されていました。蔵元のレストランだから当然といえばそれまでですが、とーーーっても日本酒に合う料理。
味わうたびに違う季節感あるメニュー。ひと皿ごとに感じられる繊細な工夫と味付け。本当に美味しくいただいてきましたよー。

みなさんも、ぜひ一度いらしてみてくださいね。

      蔵人の膳(夏の一例)
      食前酒 松緑「純」
      煮物(揚物) 川海老のかき揚げ
        冷やし豚しゃぶ
      生湯葉 湯葉ときのこの煮びたし
      小鉢 木の葉南瓜の梅肉あんかけ
      飯物 冷しきしめん、味噌ごまだれ
      汁物
      香の物
      デザート

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年10月29日 (日)

笠間の旧家、笹目宗兵衛商店

笹目宗兵衛商店のお話 4

 笠間市は、茨城県中央部に位置した旧城下町で、関東の小京都と呼ばれています。落ち着いた町並みはのどかで美しく、たびたびドラマの舞台にも利用されているそうです。蔵のたたずまいも、笠間稲荷の神社の姿も清楚な静けさで、びっくり。まりもままは初めて訪れたとき、軽いカルチャーショックを受けました。(茨城県というと、水戸気質の勇壮なイメージの方をもつ人が多いのではないでしょうか)

交通はJR水戸線と国道50号線が東西に通っています。JRの利用客は少なめですが、特急の発着時間に合わせて周遊バスが無料運行されており、それを使うと便利です。
http://www1.ocn.ne.jp/~kasama/freebus.htm

笹目宗兵衛商店会長、笹目和子さんにお家のことを色々とお聞きしてみました。
「こちらにお住まいになって、何年くらいになられますか?」
「嫁いでからですから・・・もう39年ほどになりますか」
「笹目家は、何代目で何年くらいたつお家なのですか?」
「息子の信次郎で○○代目です、○○年くらいと聞いています」
「和子さんご自身はどちらのご出身ですか?」
「栃木県の宇都宮です。父が砂糖問屋をやっておりまして、5人兄弟の真ん中でしたから、大学を卒業して2~3年でお見合いして、笠間にまいりました」

でも、お見合いが行われた宇都宮のうなぎやで、見合い相手のご主人とそのお母さまは一口もうなぎを食べなかったそうです。というのも、お二人とも守り本尊が「うなぎ」。そのため、昔から絶対に口にしない、と。それはあとで知ったそうです。
「他にも色々なしきたりがあるのでしょうね。旧家で、蔵元ということで、さぞかし大変だったのでは?」
「うちも商家でしたが、わりと自由な土地柄でしたので、笠間では箸の上げ下ろしから厳しく教えられて、沢山のしきたりがあって、最初はびっくりしました」
「結婚式も盛大だったそうですね」
「昔はそういうことが多かったのだと思いますが、二日間にわたって式をあげました。1回に100人づつ、昼2回、夜2回の合計4回、笠間神社でとり行われたのです。」

お聞きして特に驚いたのは、お正月のお供え。飾らなくてはいけない場所が100ヶ所くらい、あるそうです。ご先祖さまの供養も半端ではなく、毎月3~4回は誰かしかの命日があるため、年中お墓に詣でる。(!)お盆には、朝昼晩と10何人分のご先祖さまにお食事をご用意し・・・
「お昼がおうどんだったら、夜はご飯とおかずとか、メニューも替えますの」
「えーっ。生きている人のお世話より大変では」
「ほほほ。そうかもしれません。今はそこまではしなくてもよいかもしれないと思っています。若い人には若い人のやり方で新しい時代を築いていってほしいですから」

さまざまなご苦労があったと思われるけれど・・・笹目さんのお顔には充実した時を生きてきた、晩年の女性の穏やかな微笑がありました。
地方に取材に行くと、都会とは違う、窮屈とも思える暮らしぶりに驚かされることがよくあります。でもそこに生きる人たちは、本当にしっかりとその土地に根をおろして頑張って生きていて、そんな姿に感動したりします。都会であわただしく流行りすたりを追いかける仕事をしている自分の身のほうがかえって不自由に思えたりして。(笑)
あたしも笠間に住めば、ああいう清楚でおっとりした雰囲気になれるのかもー。そんなわけ、ないか。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年10月25日 (水)

笠間稲荷(かさまいなり)

笹目宗兵衛商店のお話 3

      笹目宗兵衛商店は、笠間稲荷の真正面に位置しています。鳥居から通りをへだてた向こう側がお店のすぐ正面なわけです。
      「いや~。本当に正面なんですね」
      「そうなんですよ。いくらお神酒を造っている蔵とはいえ、こちら側を向いて真正面というのは珍しいそうです。」

      笹目さんにお稲荷さまをご案内いただいてきました。

      参道の端には商店がいくつか並んでいます。お参りの人が絶えない全国的な銘社ですから、昔からあるのでしょうねえ。
      いただいた資料で起源を調べてみますと・・・。

      笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様だそうです。
      日本三大稲荷のひとつであるこの社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉(はくち)2年(651年)とされています。
      1350余年の歴史を有する由緒ある神社なのだ。ひええええ。すごい。

      奈良時代の和銅6年(713年)に、元明天皇の詔によって編纂が命じられた「風土記」のうちの「常陸国風土記」には、「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」と記されていますが、その頃には笠間のこの地で「古事記」や「日本書紀」に描かれています宇迦之御魂神への信仰が深く根ざしていたと考えられています。

      食物の神、農業の神さまとして崇敬されていました笠間稲荷大神さまは、商工業が盛んになるにつれて殖産興業の神さまとしての信仰も広まり、近世になると農家ばかりでなく商家、町屋、武士、大名にいたるまでご分霊され、屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りされるようになったそうです。

      お守りを購入すべく、社務所を訪れましたが、巫女さんが3人並んでいらっしゃいました。
      失礼ながら東京の女性と違う感じでみなさん気品があって、清楚な人ばっかり。

      「やっぱり昔から名門のご息女が巫女さんを務められるのでしょうね。採用の基準が厳しそうですが」と、恐る恐る話かけてみると・・・
      「ほほほ。昔は色々うるさかったかも知れませんが、今はそんなことはありませんよー。どうぞお気軽にご覧になってください」と気さくにお守りを手渡してくださり。
      でもまあ、そうは言っても都会のハンバーガー屋のバイトみたいなわけにはいかないんだろうなー、と想像しました。(笑)

      第十四代藩主の牧野貞道公は、先例にならって笠間稲荷神社を牧野家の祈願所と定めるとともに、境内地や祭器具などを寄進したそうです。
      以後、笠間藩は明治維新まで牧野家が領有することになり、神社の発展に尽くしたのです。
      その牧野家から銘酒「松緑」の蔵をいただいたのが、笹目家なのですね。

      広々とした敷地を歩き、社の様子、屋根や柱の彫刻などを眺めると、京都や奈良にも負けない豊かな地方文化の香りを感じます。
      敷地内には、正倉院を模した高床式平屋建の美しい「笠間稲荷美術館」があり、笠間焼きが影響を受けた信楽をはじめ、常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しています。
      常陸が生んだ水墨画家、雪村の作品、現代の花鳥画家、上村淳之の作品や香道具も収集・展示しています。

      なお、昔からこの地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまをお祀りしていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれているそうです。

      全国から年間通して約350万人の参拝客が訪れているそうです。

      笠間稲荷神社HP http://www.kasama.or.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«日本酒造り・笹目宗兵衛商店の一年